3.11について考えたこと。
こんばんは。
宮城県の田舎に遊びに来ていたためにwi-fiが使えず、ブログが更新できませんでした。。。
ただ、パソコンで下書きはできていたので、これからじゃんじゃん更新していこうと思います!!!
3月30本目指していきます!!!
今回は僕が宮城県に来た理由についてつらつらと書いていこうと思います。
どうか時間があれば読んでみてください。
身内が宮城県に住んでいること
僕の母は宮城県に生まれ、宮城県で育ったんです。大学を卒業し、結婚するまでいたみたいです。
そしてなぜかはわかりませんが、僕は小さい頃から学校の休みに入るたびに宮城の田舎に遊びに行っていました。
父方の祖父母がすでに亡くなっている?らしいので父方の方にそれほど縁がなかったからかもしれません。
2011年3月11日に東日本大震災がありました。
その時はとても運が良かったんですよ。
というのも、宮城に住む祖父母は僕と妹の卒業式に参加するためにはるばる千葉へと出てきていました。
そして母には弟がいて母の弟、つまり僕の叔父は普段は宮城に住んでいますが、その時は県外へ出張中でした。
彼がなんとかして家に戻ったものの水も電気も通らず大変な思いをしたそうです。
さらに彼のお嫁さん、僕の伯母とその娘である、僕のいとこは伯母の田舎に帰っている最中で被災しませんでした。
あれほど、テレビで繰り返し繰り返し映像が流され未だに津波のイメージは残っているのに、親戚が少ないということもあったためか被害はほとんどありませんでした。
唯一聞いているのは、所有している畑に津波が到達したことだそうです。
振り返ってみると、ここまで運がいいものかと少し疑ってしまいます。
毎年年末はみんな集まって温泉に行くほど仲がいいのも親戚の数が少ないおかげかもしれません。
ただ、ここまで逃れられているのは奇跡みたいなものだと本当にしみじみと思います。
ボランティアやイベントへの参加から考えること
身内が宮城県に関わりがあるので、震災以降僕は3.11の日だけでも宮城県に来るようにしています。
その形は大学のサークル主催のボランティアバスツアーであったり、2010年から毎年仙台駅周辺のライブハウスを行き来できるサーキットイベントであったり様々です。
形はなんであれ、足を運ぶことだけは続けています。
そんなの意味ないじゃん、ただ遊んでるだけじゃん、なんて言われそうですね。
でも僕は僕なりの形で関わっていくと決めているので大丈夫です。
偽善者なんて言葉を言われるかもしれませんが、それも大丈夫です。
結局は行動したもの勝ちだと思っています。
僕はこのブログで度々”考える”ということの重要性を唱えてきました。
しかし時には何も考えずに行動することで見えてくるものがあるということも実感しています。
矛盾じゃないかと言われればそうなんですが、そこは結論をまだ出せていないところですね。
現時点の僕の意見と言いますかね。笑
行動し続けることで見えてくるものがある。
色々なところでそれは現れてきそうですが、今回の場合もこれは偽善なのかそうではないか、というのはすぐには結論を出せるものではないと思います。
話が脱線しましたが、僕はボランティアやイベントなどを通じて震災が自分にどう影響してきたかなどを考えるきっかけをもらっています。
まとめ
上で書いたように僕はこれからも宮城県に関わっていくつもりです。
それがただ遊びに行くだけであろうが、全くお金を落とさずに通過するだけであろうが、あの日のことを忘れないという意識を持つことにつながるのならそのように行動するつもりです。
そして10年、15年と過ぎていっても僕が愛する第2の故郷を考え続けます。
僕にできることなんてたかがしれてますが、考えること、行動することでどうにか間接的に復興へ貢献できたらなんて思います。
以上です。それではまた。