新生活が始まる学生へ!友達の捉え方について
しばらく二人で黙っているといい。その沈黙に耐えられる関係かどうか。
実存主義の創始者であり、デンマークの哲学者であるキェルケゴールはこのような言葉を残している。
友人との関係について言及したこの言葉は非常に考えさせられるものである。
あなたはこの言葉に当てはまるような関係性の人が脳裏に浮かびますか?
こんにちは、サンタです。
友達ってなんだろう。
そう考えたことがある人は多いのではないでしょうか。
僕も映画や小説などから影響されて何度も考えたことがあります。
正直なところ答えなどわかりませんが、わからないなりに考えてみました。
友達・友情とは?
まずは定義についてですが、おそらく捉え方は人それぞれでしょう。
一応定義づけるならこんなところでしょうか。
一緒に勉強したり仕事をしたり遊んだりして,親しく交わる人。友人。友。朋友(国語辞典引用)
以前どこかで、学生時代の友達は一生モノで、社会人になってからは利益関係が生じるから純粋な友情には発展しないなんてことを耳にしました。
全てが当てはまるとは思いませんが、なんとなく的外れでもない考え方のような気もします。
もちろん全ての方に当てはまるとは思っていません。
ただ、どうしても会社の同僚や取引先の人などは利益関係が生じるような印象があります。
そして毎日毎日同じ職場で働くとすれば、環境を壊すわけにはいかないのでどうしても我慢を強いられる場面もあるでしょう。
そうすると純粋な友人関係を築くのは難しいのかなと思ってします。
一方学生は好き嫌いや人によっては打算的なこともあるかもしれませんが、同じような環境で考えて行動する中では信頼関係や互いの考えの肯定がしやすくそういった関係を築きやすいのかもしれません。
友達は必要か
続いてこんな問いがあれば、この答えは当然必要であるが正解だと僕は思います。
人間は生きていく上で必ず他人と交わりながら生きていきます。
それは家族も含まれますし、外出して食料を買うために接した近くのコンビニの店員も含みます。
そして友達の存在があれば別に接するわけですが、僕は友達と接することはきっと人生を豊かにしてくれるのだと思っています。
なぜなら友達は喜怒哀楽を与えてくれるからです。
それが哀しいことであっても心が揺れるということは結果的に人間性を豊かにしてくれます。
それがもし他の負の感情であっても決してマイナスであるとは思えません。
ただそれは友達が自分の心を開いた相手であると定義した場合だと思います。
知り合い=友達としている人にも当てはまるかと言われればもしかしたらNOかもしれません。
友達の作り方
あくまでこれは学生に対する提言ですが、僕が一番大事にしていることがあります。
それは友達になりたいと思うのならその相手に対して関心を持つことです。
そしてそれはコミュニケーションを取る上で大事にするべきことでもあると思っています。
例えば、Aさん(あなた)がBさんとコミュニケーションをとる際にBさんが話した話題に対して「ふーん」という相槌だけで会話が成り立つと思いますか?
僕なら「こいつこの話に興味ないんだな、がっかりだわ」などと感じると思います。
人間関係のほとんどはコミュニケーションがベースです。
少し相手に興味・関心を持つだけでも違った見方や新しい考え方ができると思います。
ぜひ考えてみてください。
まとめ
僕の中でもこの議論には結論が下されていません。
それはポジティブな気分の時とネガティブな気分の時でも違うのに色々な要素が絡んでくるからです。
ただ考え方によってはすごくシンプルでもあります。
相手に対して興味・関心を持って接すれば、相手も応えてくれるのではないかと。
そしてもし応えてくれないのならその人がそういう人であり、その上でどう接するべきか決めればいいのです。
まあこれは永遠に答えが出ない哲学の1つだと思いますので、自分なりの考えを持つ事が大事だと思います。
なんだかいきなり重たいテーマでしたが、今回はこの辺で。
それでは、サンタでした。